ソン・フンミンこそがトッテナムだった

2025年8月7日、トッテナム・ホットスパーはソン・フンミンの退団を発表いたしました。

偉大な10年間の物語を

 ギラギラしている。これが加入したころのソン・フンミンに抱いた印象だった。

 スパーズにやってきたのは2015年のこと。その前年に就任したマウリシオ・ポチェッティーノ監督の元、若くて走れる選手を揃え、勢いが出始めてきた頃だ。空気感としては今に近いかもしれない。未来のスター候補生の若さと野心で新しいものを生み出そうとしていた。攻撃的な選手でいうと、中央寄りでプレーすることを好む選手が多く、サイドで仕掛けていけるソンの存在は貴重だった。

 若かりし頃のソンの目には、今とはまた違った炎が燃えていた。キャラクターを一言で表現するのなら、「エゴイスト」。ボールを持てば1つ目の選択肢はシュート、次にドリブル、その次もドリブルだった。ソンは知っていたのだ、この世界で生き残るには目に見える数字を残していく必要があることを。自分がゴールを決めてチームを勝たせるんだという覇気を全身から発していた。そんなプレースタイルを認めさせるだけの結果をソンは残し続けてきた。454試合の出場で173ゴール101アシストという途方もない10年間がその証だ。

 キレのあるドリブルと圧倒的なスピード、両足から放たれる正確なキックに何度も何度も酔いしれてきた。ことシュートの上手さという点ではソンとハリー・ケインは別格だった。サッカーを見ているとよく聞く「決定力不足」という言葉があるけれど、彼らを見ていると抽象的だったその言葉の解像度が上がる。同じボールを蹴るという動作の中でも、シュートとパスは全く違うものなのだ。チームで作り出した得点チャンスの最後の仕上げをするというプレッシャーを克服し、相手ディフェンダーが最も阻止するために力を注ぐシュートの瞬間にいかに冷静に状況を把握し、正確なキックを正確な場所に蹴り込めるのかという極限の技術なのだ。

 2017年の夏に、ソンのプレースタイルについて書いた自分の記事を見返すと、『ゴールキーパーとの1対1やフリーでのシュートは外しがち。』という一文があった。これは我ながら驚いた。プレミアリーグで得点王を取った頃のソンは、裏に抜け出して1対1を迎えると、もうシュートを打つ前から得点を確信できるほどの選手だった。毎試合見ているから気が付かなかっただけで、ちゃんと磨かれ続けていたんだ。ずっと良いプレーをしていた完成された選手が色々と噛み合って得点王を取ったのではなく、絶えず自己研鑽を続けていた選手が取るべくして取った得点王だった。

 まあ実績についての話はもういいか。偉大な物語はいろんなところで語られているし、個人サイトらしく自分の感情を残そうと思う。

 ソンの口から退団が明言されるその時まで、こんなに感傷的な気持ちになるとは思ってもみなかった。トッテナム・ホットスパーのファンであり、特定の選手を極端に推していたことはないと自負していた。なので好きな選手を聞かれるといつも困っていた。僕をスパーズに連れてきてくれたのは、ディミタール・ベルバトフとルカ・モドリッチだったのだけど、彼らの退団を受けてもここまでの気持ちにはならなかった。ケインの移籍の時もそうだ。思い入れの多寡はそれなりにあれど、みんな前向きに送り出してきた。今回だってもちろん前向きな、それでいうと他の誰よりも前向きになれるはずの綺麗な別れ方にも関わらず、喪失感は今まで以上だ。各種ニュースサイトにはソンの退団の事実を伝える記事の他に、少しエモーショナルなコラム的な記事がいくつか上がっているのは見たけど、今のところ最初の数行から読み進められていない。自分の中にある感情を涙と一緒に出してしまいたくないのだと思う。

 先日のニューカッスル戦を前にマディソンがこう表現していた。

「ソン・フンミンこそがトッテナムであり、トッテナムとはソン・フンミンだ」と。

 それほどの存在だと思う。この10年間でソンは一度も他のクラブへの誘惑に駆られることはなかった。一貫して愛情を示してくれた。世界中のどのクラブに行っても通用しただろうし、クラブを変えてたくさんのタイトルをコレクションする選択肢も当然のものとしてあったはずだ。それでもソンはここに残り、自らの力でそれを勝ち取った。ケインがいなくなった時点でこのチームのエースは議論の余地もなくソンだったが、ソンのプレーや行動や言動からその立場への驕りを感じたことはない。常に謙虚で誰よりも本気のプレスをかけ続け、本当ならゴールに近い位置でプレーしたかっただろうに、チームのためにサイドで状況を打開しようともがいていた。自分のゴールだけにこだわっていた10年前のエゴイストは、若い選手たちの面倒を見て、サポーターのことも思いやる立派なキャプテンになっていた。

 2025年8月、「トッテナムでやれることは全てやった」と、晴れやかな笑顔と共にソン・フンミンはスパーズを去り、また新たな挑戦へと向かう。僕たちはこの先、ソンのようなクラブのレジェンドと呼べるような選手に出会えるのだろうか。ソンの抜けた左ウイングのポジションはひょっとするとすぐにでも埋まるかもしれない。でもこの心の穴は数年で埋まるようなものではないだろう。一緒に戦えた10年間を今はとても誇らしく思っている。ありがとうソニー。また会いましょう。

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